岡山県稲木町 摩尼山 西光寺  宝冠釈迦如来    杉材  寄木作り 総高170cm  

現在修理中 5月2日更新
制作年代は室町時代中期から江戸時代初期と推定。

胸の空きとその周囲に下がる衣の形は山形県、曹洞宗昌伝庵 大日堂 県指定文化財、大日如来と似ている、大日如来の胸の空きは宝冠釈迦如来より狭いが衣端の曲線、横から見た体の前後、首付け根から下方向の曲線(胸と背、特に肩胛骨あたりの膨らみ)、首付け根の位置などが似ている。大日如来の写真では両脇下の彫り込みの深さはよく分からないが、もし脇の彫りが深ければ制作された工房が同じであるか同一作者の可能性があるのではないかと推測。

この宝冠釈迦如来の特徴は脇下の深い彫り込み、後ろの首からお尻にかけての背中の曲面、そして胸(肌)、その胸と深い脇までのつながりのそれらの曲面、特にお尻の下に肉が続いていくかの様なリアル表現、その表現は、衣の中の肉体を感じさせたいといった作者の心を感じます。足についても同様と思います。

優秀な仏師の作と思います。

少なくとも、過去に3回の修理があったものと推測される。

初回の修理は大工が行った修理と思われる。災害のため頭部と腕が破損した。羅髪が削り取られた他の如来の頭部が転用され、その頭部が大き過ぎるため頭部の大きさに合わせて胴体の幅が約5センチ、両脇で合計約10センチ、杉材で補足拡張されている。転用された頭部は桧の一木造りで耳の前での割り剥ぎ。 この桧は白太が多いそのため虫菌害が内外とも全面に及び特に鼻から顎にかけは形を成していない。この虫害は転用以前より多くあったと思われる。

顔の眉は左右の位置ずれの指摘と思える墨線と唇の形の指導と思える墨線が合った。

胴体の状態は非常に良く虫菌害は無い。像全体に焼け焦げがありそのため虫害を免れたのであろうか、また焼き締まりで材が硬い。

肘より手首の腕が付け替えられていた(杉材)、この修理の腕は手首が小さく元の手の形では接続不可能、意図的に手の成形(変形)と位置変えがあったと思われる。

像全体及び修理後の頭部、腕、手に焼け焦げが多くあり、修理後の火災である、元禄11年頃稲倉村大字采山の火災が伝えられていることが確認できた。

像に火は点いてはおらず、焼け焦げである。この火災直後の修理は確認できない。

寛政10年、京仏師 中村新七による解体修理があった。台座に墨書がある。

 桧材による補修が剥ぎ目に数箇所あったが寛政10年の解体修理時の補足修理と思われる。その寛政の修理で漆木屎による剥ぎ目の保護は膠の劣化を防いでいる。

最後の修理は明治16年。(記録による)

明治時代の修理は解体修理ではなく以前からある塗り箔を残しその上に胡粉下地の上、塗りと箔押しである。

修理方法

頭部と手は解体修理。

髷は新しく作り変える。顔の鼻より下から顎は虫菌害が著しく形を成していないためエポキシ樹脂で形成した。目、眉のずれもエポキシ樹脂で修正した

頭部は耳の後ろで剥ぐ2分割とした。臍をずれ止めとして膠で接着。

胴体と首の固定として接着剤や、固定材の使用は無い。

髷と髪に紗は貼らず補強は漆と錆漆と胡粉下地の3層で仕上げの彩色を行う。

顔の下地は漆と錆漆、紗、胡粉下地の4層に塗り箔そして金泥仕上げ。

分解した手はエポキシ樹脂で修理。手と腕の接続は臍と膠である。

手の接続カ所は手首の上約15センチの位置。下地と仕上げは顔と同じ。

胴体は解体せず隙間はエポキシ樹脂による補強修理。

大きい欠損と大きい割れは桧で補修。

小さい欠損はエポキシ樹脂で補修。

材の補強はアクリル樹脂の注入と散布を行った。

釘は全て抜き、釘穴の補修は蝶型木製楔(ケヤキ材、千切り)で補強、約35ヶ所、接着剤はエポキシ樹脂を使用。

像木地修理終了後、像全体を生漆、そして錆漆の二層で補強その後、紗を全体に貼り付ける、その後、胡粉下地(松煙を混ぜたもの)をこすり付け整える。乾燥後、黒漆を塗り金箔仕上げとする。なお肌部分は金箔の上を金泥仕上げである。

造仏当初の造りである両脇の彫りの深さの変更を行った。幅を広げられたため脇の彫りの深さの違和感があり約15ミリエポキシ樹脂で底上げを行った。本来すべきではないが今回は塗り箔仕上げにするため仕上がりの良さや形のよさを優先した。

また衣の角の丸く削れた部分をエポキシ樹脂で復元した。

修理材料

桧、ケヤキ、エポキシ樹脂、アクリル樹脂、漆、錆漆、紗、胡粉、松煙、木粉、小麦粉、金箔(1号五毛断ち切り)金泥(1号五毛)



像の底(下)に張ってあった麻布?紗?
黒色は墨。




楔、約4cm江戸時代





寛政10年の修理時に使用されたと思われ
る玉眼を押さえるために挿んであった和紙。
胃腸の弱い人がいたということですね。



樹脂自動注入器、!?。

玉眼を押さえるために挿んであった和紙。
文字書の練習?
仏師 中村新七の直筆か?

二重の塗箔を剥がしスッキリしました。

羅漢堂
宝冠釈迦如来が祀られていたがお堂の状態が悪く如来は本堂に移された。
形の美しいお堂である。
享保5年着工、翌年の享保6年(1721)に完成
                        
桧材

胴体に虫食いは無いが顔の虫食いと菌害は多い。


修理の際、作り変えがあった手首部分と手。

額に貼られた和紙(明治時代)
上手に見得るが私にはなんだか分からん。
私には教養が無い。


胸とお腹は ポッチャリしてる。